過補償

昨日(今朝?)ちょろっと書いたこの言葉。なにこれ?って思う方もいると思いますが、簡単に言うと、
苦手を克服しようとしてがんばったら一番得意になった
みたいなそんな感じのものです。偉そうに書いてますがぶっちゃけ俺も言葉自体以外何も詳しくありません(;_ _)
例えばこう、僕の場合だと以前も書きましたが本を読むのが苦手なんですよ。でもこれじゃあなぁと思って最近本読んだりしてるわけです。
最初は義務感みたいな、そんな感じで。それじゃやっぱり読み進まないわけで、途中で止まって、またやばいなあと思って開いて、気になる本があったら買って、んでやっぱり全部読み終わる前に止まっちゃって…みたいな。
それを幾度か繰り返していました。
でも、最近、読むのが途中で止まるのはあまり変わらないのですが、いままでより「本を読みたい」と思うようになりました。
自分にとってこれは結構な進歩だと思っています。
ところで、うちの大学教授のM原センセが「つん読」と言っていたのを思い出しました。読めなくても、本は買う。その都度本は積み重なるけど、いつか読む。それが糧になる、みたいな。
これって、やっぱり改めて意思の問題なんだと思いました。
いつかこう、心の中で何かが変わるときってあるんですよね。そうなったら、勝ちです。あとは流れに身を任せるだけでいい。
でも、いつくるかな、いつくるかな、なんて思っていると、ずっと来ません。
焦らず、自然にいることが大事なんですね。
僕の本の例でいうと、ちっぽけな片鱗ですが、何かがありました。そうなりたいとは思っていたけど、固執はしなかった。結果こうなった、みたいな感じですかね。
これは別に趣味の話だけにとどまるものでは当然ありません。
勉強にしろ、運動にしろ、私生活にしろ、なんでもそうです。
自分でダメだと思うところなんていくらでもあります。そりゃあそうだ、これだけたくさんの人間がいて、得意なものも違う。無意識のうちにそんなものと比較して自分に劣等感だけもつのはもったいないですよね。みんなそうなんです。「アイツの方がすげぇ」って思っても、アイツはアイツで別のところで、「アイツはすげぇ」って思っていることでしょう。
大事なのは、そこを自分で受け止めてみることです。
なんか一般的に言われてることに行き着いているにがちょっと癪ですが、そう思ったんだから仕方ありません。
言われてなるほどと思うのと、自分の経験からなるほどと思うのは天と地の差があります。
だからこれは、俺が思ったことを書いているに過ぎないのですが、自分のダメなところを、開き直るっていうか、好きになるっていうか。これは一つの経験だ、みたいな。
なんか前向きに捉えたいと思います。
そう考えると、今のこの寮での堕落したダメ生活(笑)は、今はまだわかりませんが、きっと
何かの芽が出る肥料となっていくことだと信じています。そうでも思わないとやってられませんよねぇ(@■@;)
でも、難しいのはこのダメな具合をいつまでも享受しているだけじゃいけないってことですね。間違ってもらっちゃ困るのですが、ここに向上心がないとそれはただの言い訳です。それはただの弱い人間です。
認識はしつつ、でも本気でがんばるだけじゃぁ萎えちゃうんで、今を受け止め、向上心を持つ。簡単なようで難しいようで、別に特別なことじゃあない。
「今自分は成長していない」と感じている方、それも成長の一部と思えるんじゃないでしょうか。そんな時期があるほど、可能性を秘めているとも捉えられるんじゃないでしょうか。


偉そうに、そして長くなってすみません。自己満足的な長文をここまで読んでくれた方、ありがとうございましたm(_ _)m