ニンジンになら言えるのに。ホントにとてもものスゴく 大好きですと言えるのに

これはちびギャラの439番の言葉です(気になる人は検索してみて)。
これに関連したことを夜に考えてました。


ニンジンになら言えるが、好きな人には言えない。
それは相手に意思があるからか。
例えば日本を好きになるっていう行為には相手に意思がない。
人を好きになるのには相手の意思がある。
なぜ意思の有無が問題になるか?
相手から見た優劣ができるからではないか?
例えば、違う人が同じ物を好きになっても(日本とかそういうことね)、その2人に関する優劣はない。
違う人が同じ人を好きになると、そこにはその人の意思が生まれ、その2人に関する優劣ができてしまう。
その不安感が原因ではないかなと。
人は人でも芸能人相手なら「好き」って言えたり。それは遠すぎるが故に皆平等である安心感。
付き合って信頼できるカレカノならそれもまた安心感。これは「愛」につながりますよね?
よく「恋」と「愛」の違いの話も聞きます。
「恋は見返りを求め、愛は見返りを求めない」とか。
そこから派生して、
「不安感を持つのが恋、安心感を持つのが愛」なんて。
・・・けどなあ、本人が言う愛ってのも難しくて、歪んでたり迷惑になるようなのを愛とは呼びたくないし、そういう意味では物に対する愛と人に対する愛は違うようで似ていると思わせて実は全くの別物であるのか、な・・?


・・・とかね。いろいろ。
答えなんか出ないけど、そんなの当たり前だし。


ってかある意味深夜テンションですね(笑)

ま、ぼーっと思ったことなんで。流してください。